今の職場に就職する時に、家を出てから15年。
あまり実家に帰ることはなく、お盆と正月に帰る程度。
実家はだんだん帰るところではなく、行くところになりました。
結婚して、子供が生まれて
そうすると、実家を訪れる機会が増えました。
子供を両親に会わせることが、たぶん親孝行なんだと信じて、実家へ帰りました。
母が亡くなる前は、母と連絡を取ることが多く正直なところ父は実家に帰った時のおまけ(?)みないな存在でした。
まさか、母に先立たれるなんて・・・
多分父本人が、一番そう思っているんじゃないかと。
父から携帯電話のアドレス帳へ登録依頼
そんな父から
「携帯電話のアドレス帳に電話番号を登録したいので、教えてほしい」と
連絡がありました。
私の父は事務職を何十年もやってきた人ですが、機械音痴のパソコン音痴で、携帯電話も基本的にかかってきたものを受けるのがやっとです。
携帯電をで電話掛けるときも、紙のアドレス帳をペラペラめくりながら電話をかけるという超ローテク人間です。
本人曰く、これではあかんと思ったらしく、携帯電話のアドレス帳に登録を思い立ったみたいです。
もちろん携帯電話というのはガラケーです。
「登録して」じゃなくて「登録のやり方を教えて」なところが息子ながらうれしかったところ。
父が使っている携帯電話 らくらくホン F-02J
ドコモオンラインショップから写真引用
ガラケーの物理ボタンが感覚を呼び起こす
初めて触る機種ではあったけれど、触っていると直感的なのか、昔の記憶が蘇ったのか、すぐに指が動き出しました。
おそらく30歳台中盤以上の方なら、ガラケーをかなりハードに使いこなした過去を持つ人も多くいると思います。
私も多分その一人でした。
あの当時、あの2つ折りのケータイを片手でパカッと開けて、さっそうとメールを打っていた自分を思い出してください。
私の場合は左手でケータイを持ってました。
中央のキー「5」の所にボッチが付いていて
そこを基準にして、物理キーを打つのです。
ちょうどそれは、PCのキーボードの「F」と「J」のについているホームポジション突起と同じ役割。
多分あのころみんな、ケータイのメールをブラインドタッチできていたんじゃないでしょうか?
なんか、ガラケーの物理キー
あのポチポチ感
気持ちいいんです。
なんていう事を思いつつ、父にガラケーの操作を教えながら、アドレス帳への入力作業は完了。
ガラケーを触るのは8年ぶりくらいか?
その前は、ポケベルだったよな・・・
広末涼子がドコモのポケベルのCMをしていたの思い出します。
あと、「ポケベルが鳴らなくて♪」とか・・・
あの頃は、公衆電話がいっぱいあって、いつも女子高校生が公衆電話に行列をつくっていました。その当時当たり前でしたが、ポケベルって受信することしかできなかったんですよね。
初期のころは、数字しか表示できなかったし。
それが、その当時の当たり前。
その後、携帯電話がでてきました。
初期の携帯電話って、大きかったですよね。
自宅用電話の子機より少し小さいくらいのサイズ。
だんだんサイズが小さくなってきて
折りたたみ式の登場で、ガラケーは完成形となりました。
あと、携帯電話がではじめたころって、メールは携帯キャリアが異なると送信できませんでした。
- ドコモはショートメール
- au(あの頃はIDO)はプチメール
- ソフトバンク(あの頃はJ-PHONEその後ボーダフォン)はスカイメール
若かったあの頃、気になるあの子と同じ形携帯キャリアに乗り換えるなんてこともよくありました。
番号ポータビリティなんてなかったので、電話番号は変わります。
これもあの頃は当たり前でした。
折りたたみ式携帯電話が登場して20年以上が経ちましたが、その原型はほとんど変わっていません。
多分この先10年後も折りたたみ式携帯電話は今の形状を保って存在し続けることでしょう。
スマホの時代そしてこれからの10年
私が初めてスマートフォンを使ったのは10年くらい前になります。
それ以来、ガラケーを触る機会はほとんどありません。
気が付けば、誰もがスマートフォンを持つ時代になりました。
パソコンと同等の性能があり、高級一眼レフに匹敵するカメラ性能が備わっている機種も多くあります。そして、今現在の当たり前の事も、10年後には当たり前ではなくなっているでしょう。
楽しみです。
父のガラケーの物理キーを触っていたら、色々なことを思い出しました。
携帯電話が出始めた2000年ごろは、私は学生で、実家暮らしで、父、母、祖父、兄弟と暮らしていて、当たり前のように、父と母の子供でした。
20年の時間が過ぎると、家族の形は変わります。
父と母の子供だった私にもまた、子供が生まれて、大切な存在が増えました。
次の10年・20年で当たり前はどう変わるのか?
AIが今より進歩して、今の当たり前は、もう当たり前じゃなくなっているのでしょう。
個人的なところでは、そのころ家族の形は今とはまた変わっているのだと思います。
大切に思える人がいて、また自分もまた大切な人からは大切に思われていたい。
今週のお題「大切な人へ」でした。